金融政策

消費者金融の歴史

お金を持っている人がお金を必要としている人に貸し付けた上で、金利を取って儲けるという「金貸し」の形態の歴史は古く、すでに奈良時代(710年〜794年)には「出挙」という利子の制度が確立されていたことが記録に残っています。

ただ、当時は金銭のやり取りではなく、稲作物等でのやり取りをしていたようです。平安時代になると、年貢を支払う際に不足する金米を高利息で貸し付ける貸上(かしあげ)という高利貸しも誕生してきます。更に鎌倉時代になると、担保として物品を預かって金銭を貸し付ける「土倉」という質屋の形態が確率し、広く一般大衆に広がっていきます。

また、「土倉」が発展していく中で、日銭屋と呼称される高利貸しもこの時代に登場してきます。日銭屋はその名の通り、日賦による高利貸しをする金貸しで、現代のサラ金に通じているとも言われています。ちなみにこの時代から高利貸しは庶民に敵対視されており、度々一揆で襲撃されたりもしています。そのため、用心棒を雇っていたと記録に残っています。

江戸時代になると金融も発展し、現在の貸金業に近い両替商や、年貢に苦しむ農民に高利で貸し付ける金貸しも登場してきます。さらに、質屋はこの時代に全盛となり、多くの庶民に利用されるようになりました。

サラリーマン金融

昭和の時代に入ると、30年代までは物品を担保に金銭を借りる質屋が庶民金融の中心に位置していましたが、30年以降その形態がサラリーマン金融の出現によって大きく舵をきることになります。サラリーマン金融の前身は団地の主婦を相手に金貸しをしていた団地金融で、消費者金融が注目されたのは昭和39年の東京オリンピックの前後です。

その背景には、急激な高度成長にともなう個人消費の伸びにあります。当時、金融機関から融資を受けるには、担保となる動産や印鑑証明が必要でした。更に、個人向けのフリーローンは当時の銀行は殆ど取り扱っていなかったのです。

そのような社会環境の中で、サラリーマン向けの無担保・無保証のフリーローンがもてはやされることは、自然の成り行きといっていいでしょう。消費者のニーズに合致したサラ金業者として発展していったのです。

それ以前にも個人向け消費者へのフリーローンというのは存在していました。しかし、その内容は担保、保証人、印鑑証明などの必要書類が必要な担保融資でした。現在の消費者金融のように、面倒な貸付方法を一切排除したキャッシングと比べると、時代が違うとはいえ違和感を感じざるを得ません。

当時の上限金利

サラリーマン金融が庶民に浸透していく一方で、その支払いに苦しむ人が増えていくことになります。それもそのはず、当時の上限金利は現在では考えられないほどの高さなのだから、当然のことです。

上限金利の時代推移

上記の上限金利の時代推移を見ればわかるように、1983年の改正以前は109.5%という天文学的な数値こそが上限金利でした。また、当時は取り立てについての明確な規制もなかったことから、荒っぽい取り立てが横行し、やがては高利貸しや悪質な取り立て問題が社会問題となって、金融業者へのイメージは地に落ちてしまいます。

消費者金融業界の主な沿革

  • 1951年 6月・・日本信販が設立
  • 1954年 6月・・オリエントコーポレーションの前身となる協同組合広島クーポンが設立
  • 1960年12月・・中日信販(セントラルファイナンス)が設立
  • 1962年 3月・・大手消費者金融となるプロミスが設立
  • 1968年 6月・・大手消費者金融となる武富士が設立
  • 1978年10月・・大手消費者金融となるアコムが設立
  • 1981年・・・・イオンクレジットが設立
  • 1983年11月・・貸金業法が改正され、上限金利が109.5%から73.0%に引き下げられる。
  • 1991年11月・・貸金業法が改正され、上限金利が54.75%から40.004%に引き下げられる。
  • 1993年 7月・・アコムが無人契約機を導入
  • 1993年 9月・・アコム、プロミス、三洋信販が株式公開を果たす